其の参 明治期購入の「目星しき大地面」日本橋浜町

お江戸日本橋

江戸時代からの交通の要衝、日本橋。
五街道の起点となり、大店が軒を連ね人々の往来も盛んだったこの界隈は、現在も高島屋・三越などの百貨店や多くの老舗が集積しており、下町情緒を残しながらも日銀・東京証券取引所等を抱えるオフィス街として発展しており、街としての魅力と活力を有している。

安田財閥の創始者、安田善次郎翁が財閥のルーツに当たる「安田屋」を元治元(1864)年に創業したのもこの日本橋であった。善次郎翁は、安田屋の開業3年目に日本橋小舟町に新たな土地を購入し、「安田商店」を開業した。
善次郎翁は、安田商店を後に「安田銀行」へと発展させ、その銀行業務は、戦後、「富士銀行」を経て、現在では「みずほフィナンシャルグループ」に受け継がれている。

日本橋浜町の位置図

空から見た中洲付近(昭和5(1930)年)
写真右上の部分が当時の日本橋浜町/出典:中央区京橋図書館

安田銀行本店(明治33(1900)年)/出典:中央区京橋図書館

善次郎翁の先見の明

日本橋浜町は、慶長8(1603)年に神田山(現 神田駿河台)を削った土によって埋め立てられ陸地として形成されて以来、明治維新に至るまで武家地と町地が混在した町であった。
明治4(1871)年12月に従来の武家地・町地の呼称が廃止されたが、武家地には町名がなかったため、明治5(1872)年2月に「浜町」を正式な町名とした。浜町の名称は、二丁目と三丁目の路地に「ハマ丁」の俗称があったことと大川端であることによったものであると言われている。「日本橋浜町」となったのは、その6年後の明治11(1878)年。「郡区町村編制法」に基づき、「浜町」が旧「日本橋区」に編成されたことによる。
当時の日本橋の中心部は、金融・商業の街として発展を続けていたが、日本橋浜町は、江戸時代から続く大名屋敷、花柳界が残る街であった。早くから日本橋浜町の土地の価値を見出していた善次郎翁は、安田商店時代には小口の土地を少しずつ取得し、安田銀行設立後の明治19(1886)年に日本橋浜町三丁目の島津家の屋敷、明治23(1890)年に日本橋浜町一丁目の細川家の屋敷といった大口でまとまった土地を取得している。

安田善次郎翁が取得した土地(明治6(1873)年)/出典:中央区京橋図書館

日本橋浜町周辺の地図(明治17(1884)年)/出典:中央区京橋図書館

現在の日本橋浜町周辺の地図

善次郎翁は島津家の屋敷を手に入れた際、次のように述懐した。

『日本橋区内でも目星しき大地面、斯る大地面を買入るるを得た欣びとして、其の事に奔走した富田鉄之助、
天野仙輔、島津家家扶竹宮某らへ、それぞれ祝酒など贈与した』

ー「安田善次郎伝」より

この浜町の土地を含めた資産の一部は、昭和25(1950)年に当社に引き継がれ、現在では当社の収益基盤に大きく寄与している。


『住み続けられ、働き続けられるまちづくり』を目指して

ブロックに分け浜町三丁目を開発

昭和63(1988)年、日本がバブル経済の絶頂期を迎えようとしている頃、日本橋浜町エリアは住居を中心とする商業との混在エリアであった。

日本橋浜町と目と鼻の先にある兜町界隈では、東京証券取引所を核として、「ウォーターフロント計画」、「東京国際金融センター構想」等が持ち上がり、徐々に開発が進んでいった。しかし、当時の浜町は、その後のバブル崩壊により、老朽化した家屋・事務所が建ち並び、地上げによる小さな空地がそこかしこに出現するなど、再開発から取り残された状況であった。
この頃中央区は、定住人口の増加を目指し「安全で快適な都市居住のまちづくり」の実現を掲げ、区内各地区で協議会を立ち上げていた。当エリアでは「日本橋人形町・浜町河岸地区まちづくり協議会」を発足させた。

なかでも、浜町三丁目西部地区はモデル地区に選定され、当社の所有地が集積していた街区及びその周辺の計20街区をA〜Fの6ブロックに分け、浜町三丁目の再開発に向けた検討を開始する。

当社としても、当社所有地の付加価値向上を図るべく、貸地の共同ビル化による立体化を最優先課題とし、社内では、「所有から活用へ」という中期経営計画のもと、日本橋浜町の再開発の機運が醸成していた。
開発手法については、従来の地上げ方式ではなく、善次郎翁以来の「お客様第一」の理念を受け継ぎ、地権者の皆さんと共同で街をつくっていくという方針のもと、中央区が提唱していた『住み続け、働きつづけられるまちづくり』に賛同し、特定民間再開発事業等の共同立体化方式が中心となった。
住民へのアンケート、モデル街区調査、勉強会、協議会などを重ねる形で、合意を得られた街区より順次開発を進め、平成9(1997)年にオフィス・住居・商業施設の複合施設「日本橋浜町Fタワー」、平成15(2003)年にはオフィス・住居の複合施設「日本橋安田スカイゲート」を竣工させ、都心型マンション「レフィール日本橋浜町」を分譲した。
平成17(2005)年には再開発事業の地権者かつ参加組合員として参画した日本橋浜町西部地区第一種市街地再開発事業は、オフィス・住居・商業施設の複合施設「トルナーレ日本橋浜町」として竣工した。

尚、日本橋浜町は現在、日本橋エリアで一番の人口を誇るが、町域が広いというだけでなく、当社が参画したトルナーレ日本橋浜町等のオフィス・住居・商業施設の複合開発による『住み続けられ、働き続けられるまちづくり』も定住人口の向上に寄与したと自負している。

日本橋浜町Fタワー

日本橋安田スカイゲート

トルナーレ日本橋浜町

まちづくりを通じ豊かな社会の実現に寄与する

旧安田財閥の創始者、安田善次郎翁は数々の事業を展開する一方で、東京帝国大学に安田講堂、東京市に日比谷公会堂を寄贈するなど社会事業にも貢献した。この志を受け継ぐ私たちは、住民参加型のまちづくりを広い意味での地域貢献であると考えている。当社は、社会の一員として、不動産を通じて常により良い商品・サービスを創造・提供することで、豊かな社会の実現に寄与し、社会に信頼され、求められる企業を目指している。


安田めぐりトップへ

ページトップへ