其の壱 旧安田家別邸の地 大磯

美しい自然に囲まれた静寂な山間にたたずむ
時代と歴史を感じる純日本風邸宅

大磯の海を臨む山間にひっそりとたたずむ旧安田家別邸。静寂につつまれるという言葉がまさにぴったりなこの場所は、晩年の安田善次郎翁の邸宅であった場所である。明治初期、初めて大磯を訪れて以来この地をこよなく愛した善次郎翁は、明治末期にこの場所を浅野総一郎氏(旧 浅野財閥の創始者)より譲り受け別邸として移り住んだ。
庭園に置かれた石碑(右写真)には「おかまえは申さず来りたまえかし日がな遊ぶも客のまにまに」と記し、町の人々の来訪も歓迎していた。現在でも、年1回春に一般公開されており、その日は地元の方々を含め多くの見学客で賑わっている。

旧安田家別邸(現在は当社が所有・管理) 築/大正7(1918)年
敷地規模/8,272坪 住所/神奈川県中郡大磯町大磯496

山へ行く脇道にある石碑には善次郎翁の歌が記されている

広大な敷地には茶室のついた母屋、善次郎翁の冥福を祈るために建立された持仏堂(下写真)、書物や仏像などが納められた経蔵の3棟の建物と、手入れの行き届いた美しい庭園、また、昭和9(1934)年に国の重要美術品に認定された「嘉元三年(1305)」銘の石造十三重塔をはじめとした数多くの石碑や石像が美しい自然に囲まれて点在している。この美しい建物と庭園は、現在当社が大切に管理しており、善次郎翁から引き継いだ歴史の重みと共に次の世代へと引き継いでいる。

持仏堂と石造十三重塔

敷地内の母屋は純和風の平屋建て、屋根は寄棟造桟瓦葺き、外壁は下見板張りで、一見質素で地味なつくりも、勤倹力行を旨とした善次郎翁らしい佇まいである。一方で床や柱、天井などには凝った建材が使われており、特に特徴的なのは板張りの応接間に見られる網代(あじろ)天井と呼ばれる建材で、竹の皮を編み込んでつくられており、非常に手が込んだ美しい職人技が見られる。

網代天井のリビングルーム

多趣味な善次郎翁が、中でも最も好んだものは茶の湯であり、網代天井に見られるような慎ましくも凝ったつくりは、茶人「善次郎翁」を偲ばせる。当時頻繁に開かれた茶会には渋沢栄一、馬越恭平、益田孝などの実業家や高橋是清などの政治家までが招待されていたという記録が残っている。

増築時に建てられた茶室

点在する石碑や持仏に目をとめながら裏山を登っていくと、大磯の町と海が一望できる高台へとつながる。晴れた日には鎌倉や江ノ島まで見渡すことができ、今でも時折狸が出現するというこの裏山を善次郎翁は毎日散歩していたそうだ。春には桜が、秋には紅葉が、四季折々の季節を感じながらゆっくりと時間が流れているこの別邸の地にはまさにスローライフの原点がある。激動の時代の中で人生を送った善次郎翁が、晩年に静かなこの地を選んだ理由がここにあるのかもしれない。

大磯の海を一望できる裏山からの眺め。
当時は線路向こうまで所有地であったという

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