其の八 地域の人々と進めた「参加型の再開発」神田淡路町

淡路小学校閉校を機にスタートした再開発計画

嘉永2(1849)年頃の淡路町(江戸切絵図)

江戸時代、閑静な武家屋敷町と賑やかな町人町が接する文化の中心地だった神田淡路町界隈。明治に入ると、西園寺公望や岩崎弥太郎ら多くの政府高官や実業家が邸宅を構え、文明開化の先進的エリアとして発展を遂げた。やがて大正元(1912)年に路面電車の万世橋駅が開業すると、駅周辺は寄席や映画館、飲食店などが立ち並ぶ東京随一の繁華街になっていった。
関東大震災の被害から復興し、第二次大戦では幸いにも戦火を免れた町は、下町の情緒と人情を色濃く残しながら、現代に引き継がれていった。

しかし千代田区では昭和30(1955)年をピークに、人口は徐々に減少していく。明治11(1878)年に淡路町二丁目に建てられた淡路小学校では、昭和51(1976)年の創立100周年を機に、卒業生らを中心に淡路町の未来を考える座談会を開き、以来、住民同士で再開発への勉強を重ねるようになっていった。

そして平成5(1993)年、淡路小学校は遂に閉校に。単なる跡地の利用法にとどまらない、未来に向けた街づくりをめざそう――。地域の人々は立ち上がった。閉校から4年後、淡路町・駿河台・小川町・須田町の住民、そして淡路町にまとまった土地を持つ安田不動産などからなる淡路地域街づくり計画推進協議会が発足。平成13(2001)年には、地権者による淡路町二丁目地区再開発準備組合が、安田不動産を事務局として設立された。
なぜ、安田不動産が事務局を一任されたのか。実はこの土地との関わりは明治時代にさかのぼる。初代安田善次郎翁は、発展するこの町の将来に多くの期待をかけていたであろう。明治40(1907)年当時で国内6位に番付けされる5万7000坪の土地を全国各地に所有していた善次郎翁は、淡路町にもまた広い土地を購入し、多くの企業や個人に貸地として利用して頂いていた。現代に至っても、淡路町の住民の約半数の方々に利用して頂いていたのである。
こうした歴史を踏まえ、地域の一員として共に再開発を考えていく―。多くの地権者の方々や千代田区からの要請を受けることになったのは、こうした姿勢を評価して頂いたものであると考えている。
淡路小学校での座談会から四半世紀を経て、新たな街づくりへの取り組みが始まった。安田不動産所有地を含む、22,000m2の市街地再開発事業のスタートであった。

創立100周年当時の淡路小学校とその周辺

地域の住民や学生と一体となった参加型の街づくり

解体の開始時、地域の古井戸のお祓い

常磐緑(ときわみどり) 縁起の良い色として名付けられた「常緑樹」の葉の深い緑 瑠璃色(るりいろ) 仏教の七宝のひとつである「瑠璃」の濃い紫がかった青色 紺色(こんいろ)/ワテラスブルー 神田祭におけるこの町会の袢纏の藍染め色である「紺色」 鶸色(ひわいろ)小鳥の鶸の羽の色で古くから日本人に親しまれている明るい黄緑色

ワテラスのシンボルマーク

街の再開発は企業利益優先であってはならない。皆がめざしたのは、その土地に愛着を持つ地元の人々が、そのまま住み、働き続けられる街、そして新たな人々を呼び込み、楽しんで過ごしてもらえる魅力ある街だ。
平成12(2000)年に「コミュニティオアシス淡路町〜下町情緒と緑を生かした街づくり〜」の開発コンセプトが取りまとめられ、「ふれあいと自然豊かな公園の街」「環境のよい住み続けられる街」「活気と賑わいのあるおしゃれな街」のイメージも方向づけられた。再開発準備組合ではアンケートや個別ヒアリングで地権者の方々の意見や要望を汲み上げ、勉強会を重ねた。
平成17(2005)年7月には、環境・文化・防災を柱として、居住機能・商業機能・業務機能・文化交流機能を充実させ、住民と就労者、学生が三位一体となった「淡路型コミュニティの拠点づくり」が、再開発コンセプトとしてまとまった。再開発準備組合が東京都・千代田区に提案した地域貢献策には、以下の9つの項目が並んだ。

①オープンスペースと快適な歩行者空間の創出、②定住人口回復に向けた多世代住宅の整備、③公園機能の再編・拡充による緑地の創出、④周辺道路の無電柱化等による街並み形成、⑤生活支援店舗(スーパー等)の整備、⑥地域活性化に寄与するコミュニティ施設・学生ボランティア支援施設の整備、⑦屋上緑化・保水性舗装等のヒートアイランド対策、⑧地域防災および帰宅困難者支援の活動拠点整備、⑨タウンマネジメント組織による街づくりの新たな取り組み。中でも⑥の学生ボランティア支援施設は、これまでの再開発事業には見られなかった試みだ。今後の街づくりの担い手として、学生たちがこの場所で日常生活を送りつつボランティア活動を行うことを期待したい。そこで住民の方々からの発案により、新しいビルには学生マンションも組み込むこととした。
平成19(2007)年4月、都市再生特別地区の指定を受けたことで再開発準備組合は解散、淡路町二丁目西部地区再開発組合が設立された。

再開発には、既存の土地や建物に対して所有している権利を、新しく建設されるビルの床や敷地の権利と置き替える、権利変換の手続きが不可欠だ。安田不動産は権利者の方々との個別の話し合いを進めたが、組合設立から約1年で全員の合意を得ることとなった。権利者数が約200名規模の市街地再開発事業としては異例の早さである。これは、多様な要望に沿った権利変換計画の提案や、転出希望者への転居先紹介など、きめ細かな対応を行ったことによるだけでなく、やはり長年の信頼関係と、権利者の方々の街づくりへの強い思いがあってこそ成し得たものといえるだろう。

平成21(2009)年11月、地域の解体工事開始。翌年3月にはいよいよ新しい複合ビルの着工へと至った。
ビルの名前は「ワテラス」と名づけられた。「輪(コミュニティ)を照らす」「和をコンセプトとした段丘(テラス)状の敷地」「水(WATER)が循環する緑の大地(TERRA)」など、さまざまな意味を盛り込んだネーミングである。シンボルマークは、段丘に流れ落ちる豊かな水を、日本の伝統色である紺色、瑠璃色、鶸色(ひわいろ)、常磐緑(ときわみどり)で表現した。この色づかいには、守り続けた土地の伝統を、未来の発展へとつなげていく希望が込められている。


「ワテラス」を核とした新たな魅力あふれる街へ

ワテラス全景

再開発組合では、竣工後も永続的に魅力的な街を作り上げていくためには、住民主導による街の維持・運営や、催事・イベントの企画・運営を行うことが不可欠と考えた。権利者の方々や周辺住民、大学関係者などからなる淡路タウンマネジメント組織検討会が作られ、工事着工後は住民や学生の皆さんによるイベントも繰り広げた。平成24(2012)年には地域交流や学生居住推進、地域連携、環境共生・美化を目的とした一般社団法人淡路エリアマネジメントが発足。安田不動産も運営をサポートし、学生マンションの居住者を学生会員としたのもユニークな点だ。
平成25(2013)年4月、オフィス、レジデンス、店舗、コミュニティ施設、学生マンションを備えた大規模複合ビル「ワテラス」はグランドオープンを迎えた。淡路小学校閉校から20年もの道のりであった。
再開発区域は北街区と南街区の2街区から構成される。タワー棟・アネックス棟・アトリウムからなるワテラスが建つのは北街区だ。
高さ165mのタワー棟は20〜41階に住戸があり、4〜18階はオフィス。1〜3階はホールやギャラリー、ライブラリー、カフェなどのある、ワテラスコモンと名づけたコミュニティ施設になっている。アトリウムを間に向き合うアネックス棟は6~13階がオフィス、14・15階は36戸の学生用賃貸マンション。キッチン付きの共用ラウンジもある。4・5階は従前の地権者である学習塾や診療所が入り、地下1階〜3階にはワテラス全体の賑わいを作る場として、レストランやショップが連なる。建物は隣接するお茶の水ソラシティと歩行者専用ブリッジでつながれており、千代田線新お茶の水駅から雨に濡れることなく、またエレベーターやエスカレーターによるバリアフリー動線で行き来できるようになっている。
北街区にはこのほか千代田区立淡路公園が整備され、ワテラスと一体となった憩いの空間になった。また道路をはさんだ南街区には、神田保育園と高齢者福祉施設、公共広場が作られた。

多くの若者が参加したワテラスでの神田祭

グランドオープンに際し、淡路エリアマネジメントの主導で開催された街びらきのイベント「WATERRAS BLOSSOM」では、ジャズコンサートや手作り市、マルシェ(青空市場)、講座、展示会など多彩なプログラムが1か月にわたって展開され、多くの来場者で賑わった。そして5月には4年ぶりの開催となった神田祭。ワテラスコモンには神輿の御仮屋が置かれ、新旧住民や学生の皆さんが賑やかに神輿を担いだ。
今、ワテラスは淡路町に新たな賑わいを呼び、そこに暮らし、働く人々は街に一層の魅力を作り出す努力を続けている。安田不動産もまた、これからも末長くその一翼を担っていきたい。確かな信頼をベースに、地域との共存共栄を第一義とする再開発事業を――。それこそまさに善次郎翁から引き継がれてきた精神なのである。

マルシェ(青空市場)も多くの来場者で賑わった

「WATERRAS BLOSSOM」で行われた東京・春・音楽祭 〜桜の街の音楽会

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