其の四 震災を乗り越え「賑わう街」神戸三宮

安田と神戸の地とのつながり

兵庫県神戸市街の中心地で、元町などと共に賑わいを見せる繁華街、三宮。ブランドショップや商業施設が立ち並ぶこの地は、ファッショントレンドの発信地としても名高い。
市の中心部に建てられた三宮神社が、この地名の由来。三宮神社とは、生田神社を囲むように位置する、一宮から八宮までの八社の一つである。
街の発展は、慶応3(1868)年の兵庫港(現・神戸港)開港により、外国人居留地が形成され、行政区画も整備されたことなどをきっかけに、商圏としての開発が進んだことであり、現在では多くの鉄道路線が集中する三ノ宮駅を中心として、商業施設が密集する地域となった。

当社の神戸との関わりは、善次郎翁が明治14(1881)年に当時の大蔵省国債局から話を持ちかけられ、神戸市内の山手におよそ4千坪の土地を購入したことに始まる。その後、善次郎翁は明治21(1888)年に三宮でおよそ7千坪の土地を購入しており、明治45(1912)年には、それまで安田銀行(※1)が所有していた土地を売買により当社の前身となる「保善社」(※2)設立時に名義を移している。

三宮アーケード街周辺地図(平成23(2011)年当時)

戦後の昭和21(1946)年の財閥解体により、「安田保善社」(※2)は解散してしまうが、昭和25(1950)年に安田保善社の残余資産を現物出資することにより「永楽不動産」(※3)を設立した時点では、神戸市内におよそ1万9千坪の土地を所有していた。これは当時の当社所有地全体の14.5%にのぼった。その後、昭和43(1968)年〜48(1973)年にかけて三宮センター街の南側で行われた、市の土地区画整理事業による収用や区画整理などを経て、現在ではおよそ1万2千坪が当社の所有地となっている。

神戸貸地図

差配所が関西支店に昇格するまで

明治期、安田銀行(※1)は所有する不動産の管理のため、神戸市を含む全国各地に差配所を設けて行員を派遣し管理にあたっていた。
そして明治45(1912)年の保善社(※2)設立時後にも、神戸市の差配所等には保善社から社員を出向させており、これが現在の関西支店のはじまりとなる。その後は、昭和25(1950)年の永楽不動産(※3)設立により、神戸差配所は神戸管理所という名称でスタートし、業務の拡大とともに、昭和30(1955)年には神戸出張所に改称された。その後、昭和55(1980)年に老朽化した木造の神戸出張所を取壊し、同敷地に新たに賃貸ビルの「中山手安田ビル」の建設を経て、平成2(1990)年に神戸出張所から神戸支店へと昇格となった。そして事業拡大に伴い平成24(2012)年に名称を関西支店へと改めている。これが、差配所から関西支店に昇格されるまでの経緯である。

中山手安田ビル

建替え前の「神戸出張所」
  • ※1「安田銀行」・・・後に「富士銀行」に改称、現在の「みずほフィナンシャルグループ」。
  • ※2「保善社」・・・後に「安田保善社」に改称。
  • ※3「永楽不動産」・・・後に「安田不動産」に改称。

震災直後の神戸支店

外壁にひびが入った「中山手安田ビル」

平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災発生時、神戸には315件の貸地があり、この内141件の借地人の建物が全壊、99件が半壊と、損害を被った建物は全体の3/4を占め、多くの借地人が被災した。
震災発生の翌早朝には、東京の本社から神戸支店の現状把握と借地人の安否確認等、対応を行うため、社員数名が神戸に向け出発した。しかしながら、震災の影響により交通機関が混乱しており、電車で神戸市内まで行くことが出来ず、震災発生から2日目にようやく現地入りを果たした。神戸支店の社員と合流し、支店社員と中山手安田ビルに入居していたテナントの安否確認等を済ませると、中山手安田ビルの目視による調査を行った。調査の結果、幸いにも中山手安田ビルの外壁や内壁の一部にひびが入ってはいたものの、建物の被害は軽微であり、ビルとしての耐震性を十分に確保できていた。そこで、ビル内に震災の対策本部を設置し、そこから数ヶ月にわたり震災後の対応にあたることとなった。
当社の予想を上回る被災状況から、至急第二陣の応援部隊を神戸に送るが、やはり第一陣と同様に、電車では直接神戸市内に行くことができず、船と徒歩で神戸支店と大阪市を往復しながら震災後の対応にあたったのであった。
その後、飲料水の確保や大阪市と神戸市間の船による輸送経路の確保、ビルの構造や各種設備の点検等、当社の取引先の協力を得ることが出来たこともあり、中山手安田ビルは賃貸ビルとしての機能を早期に回復することができたのである。

神戸に活気を取り戻すために

三宮センター街においても震災により多くの建物が解体されることになり、当社に借地の売却を申し出る借地人も現れた。当社が購入した借地のうち、特に三宮センター街に近接するまとまった規模の敷地については、商業施設としての活用を検討し、震災7年後の平成14(2002)年には、ユニクロ神戸三宮店として「三宮安田ビル」が竣工した。さらに、平成16(2004)年には、36店舗の専門店・飲食店で構成される複合商業施設「クレフィ三宮」が竣工し、その後、平成21(2009)年には、ZARAがテナントとして入居する商業施設「アーバンテラス三宮」を当社SPCで取得したことで、これら三つの商業施設を一体運営している。平成22(2010)年には、三宮センター街に接する建物を取得し、「三宮五番館」を設置するなど、新たな店舗展開も計画している。

三宮安田ビル

アーバンテラス三宮

クレフィ三宮

このように関西支店では、貸地、ビル開発、商業施設等の賃貸事業を積極的に行っているが、その他にも住宅施設の開発も行っている。
例として、平成22(2010)年9月には、地権者との共同事業である商業・住宅・オフィスの複合開発施設「トルチェ元町山手」が竣工した他、「OSAKA福島タワー」(大阪市福島区福島4丁目)といった大型分譲マンションの共同分譲などが挙げられる。

今後も、企業・個人のお客様、そして地域に貢献すべく業務に取り組んでいくと共に、関西支店の事業領域をより着実に拡大していくことで、震災を乗り越え賑わう神戸の街に、より一層役立てる事が私達の更なる発展であり目標である。

トルチェ元町山手

OSAKA福島タワー

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